北海道地場の味

大阪ラーメン

※写真はクリックで拡大可

大阪ラーメンという固有名詞はメディアにほぼでてきまへん。

今回、僕がこの大きなテーマをほりさげてみます。

サヨナラ大阪ラブリーちゅうわけです。

近年カドヤ食堂など新進のラーメン屋店主がプロデュースする大阪ラーメンイベントの創作とカップ麺発売してますが、甘い醤油系のスープで、これどこのラーメン?て感じですな。

こんなんが大阪ラーメンなんて決められちゃうと、なんか腹立たしささえ感じてしまいます。

確かに大阪ラーメンの定義はむずかしそうですね。

ご当地ラーメンは、同じ傾向のスタイルが多数存在することでなりたつわけです。

フロンティアがいてフォロワーが増える。

九州も札幌も、今のような情報が少ない時代だったからこそ、地域内で群をなすわけですわな。

大阪は食文化の情報が昔から多い。

しかもアジア系外人さんも多くいらっしゃる。

古典料理ならともかく、半世紀ぐらい前やと美味いもん多過ぎてまとまんないわけですわな。

ただ、外食産業の開化とともに昭和~平成を生きてきたぼくらの世代なら、大阪ラーメンってありますよね。

で、思い出していただきたい、大きく2つの大きな流れがあると思うんですわ。

です。

ルーツから捜索したら、

戦前創成期は中華料理派生多し!

全国的に多いんです。

大正時代は中華レシピを日本人がマスターする時代やったんでしょうね。

ラーメン発祥は来々軒とされてます。

1910年
来々軒 冬季(1976閉店)
1912年
大貫 元町(現尼ヶ崎)
1914年
中国料理大勝軒 東京
1917年
萬隆軒 大阪九条(現奈良)
1922年
竹家食堂 札幌

味噌系元祖の札幌竹家(親戚が神戸大石でやってはります、味噌クラッシックスなつかしい!)も当初は澄んだ鶏ガラベースだったみたいです。

京阪神かすめてますが、大阪とよべるものはまだおまへん。

戦後は屋台系個性派が続々誕生!

中華の枠をこえてB級特有の
簡単・美味い・安い
は、戦後の貧しい時代を迎えて芽生えてきたようですね。
ザ日本ラーメンでてこいや!ですな。

1945年
終戦
1938年
新福菜館 (屋台営業中から現在のタカバシ本店スタート1945年)
1920年
日本一 (1945年あべの界隈でニラ味噌発案営業再開)
1953年
光洋軒 (高井田スタート)
1949年
ますたに(背油ちゃっちゃスタート)
1953年
第一旭(洋食から1956年ラーメンスタート)

ここで注目は日本一と光洋軒ですね。

高井田ラーメンは東大阪で小さな群をなすわけです。

ワシワシたべる固め極太ストレート麺、鶏ガラに昆布だしスープは濃口醤油のカエシ。

更にワシワシたべるカッタいネギがトッピングとユニークな仕上げ。

早朝から営業して、持ち帰りはお客さんのマイ一升瓶にスープを提供など工場エリア対応のサービスのオンリーワン。

光洋軒 ネギ大盛バージョン

光洋軒
ネギ大盛バージョン
住吉

住吉
さるぱぱ にしおか

さるぱぱ にしおか
伝統を継ぎ パンチの7.5Hz

伝統を継ぎ
パンチの7.5Hz
無科調の源さん
に進化。

大阪随一の醤油系 金久右衛門

遂に高井田ラーメンはここまできたか!
大阪随一の醤油系
金久右衛門
にまで成長。

ただなぁ。

既に高井田ラーメンちゅうのを
大阪ラーメンに
名称かえられへんわなぁ

2015/08/14 (金)

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