大阪ラーメン その後
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1986年、金龍道頓堀の裏路地に小さなラーメン店がオープン。
ガラガラの白い店内。
ラーメンはタライくらいでかいサイズ。
おいしいラーメンが普通サイズ。
野菜がタップリの鶏ガラスープは甘めながら豆板醤できりっとシマル。
カウンター薬味にニラキムチ。
金龍横で呼び込みも空しい。
神坐ラーメンのメジャーデビューは、あまりにも地味なスタートでしたな。
しかしながら数年後には、誰も止められなかったライト豚骨の流れを止めた初めてのラーメンとして大阪ラーメン史に名を刻む。
これをきっかけにライト豚骨は90sに下降していく。
逆に神坐はチェーン展開を広げ、東京にも進出やなんて。
平行してフォロワーも増幅。
中百舌鳥の大盛名物店
力横綱
芦屋ラーメン戦争に終止符を打った
楓林
長居の人気店
五味八珍、
阿波座のトマトラーメン
信濃路、
鉄鍋はふるわないが、神坐遺伝子が残る屋台系
青葉、
(なにわ筋~心斎橋閉店、
お弟子さんの松屋町ほんまもん屋は現存)
などなど。
しかしながら、神坐さえも奈良天理の彩華のフォロワーであることは、当時からの話題だったと。
2000年頃、和歌山や徳島他の全国的な御当地ラーメンブームまで、90sは動きの無いラーメン暗黒時代。
次の時代の種はこんな時代に芽生えてたりするんですなぁ。
1995年、アメリカ村に新しいコンセプトの焼肉屋が生まれる。
カウンター焼肉は競艇帰りのおっさんや夜遊び玄人だけのもの。
ターゲット一般若者に。
だから安い。
が肉質にこだわる、新メニューのバリエーションが豊富など今スタイルの焼肉店の先駆けとなった。
焼肉 どんどん
1998年に会社組織化。オーナー社長は御当地ラーメン人気と魚介系などニューウェーヴ系で先行する関東のラーメンに注目。
2006年 煮干しラーメン 玉五郎
どんどん資本で天満に開店。
洛二神、総大将などとともに天六・天満が新しい時代の扉をあけまんねん。
2015/08/16 (日)
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